江戸金の由来

江戸金の由来

文久二年(1862年)当時下関は赤間ヶ関とよばれていました。創始者増田多左衛門(1840~1912年)は江戸の麹町で生まれました。幼少の頃より菓子を習いおぼえ、長崎でオランダ、ポルトガルなどの菓子の作り方を学び、江戸に帰る途中、兄がいた長州藩に立ち寄ったのが縁で固屋の浜(現、西入江町)で亀の甲せんべいを焼きはじめました。当時の固屋が浜は、北前船の千石船が出入し、各藩の米倉屋敷、問屋など建並び港は千隻万隻の舟でにぎわい、大変栄えていた町でした。
多左衛門の通称名(幼名)が金次郎であったことから、「江戸から来た金さん」すなわち「江戸の金さん」と近所の人々から親しまれ、呼ばれていたので屋号を「江戸金」と称するようになり今日に至っています。

亀の甲せんべいができるまで

下関の氏神である亀山八幡宮のいわれと、亀は万年の縁起に因み、亀の甲せんべいと名づけられ、当時の亀山八幡宮を意匠登録し、容器のデザインとして現在も使用されています。
原材料は精白糖、鶏卵、小麦粉(福岡県産)を配合し、それに白胡麻とケシの実を合わせて一定の温度で蔵し熟成させた独特の水種を型に入れて回転焼します。昭和35年までカシの堅い木炭で焼いていましたが、現在ではガス燃料になりました。 この亀の甲せんべいの特徴は、パリッとした歯ごたえと口に入れるとトロリと溶ける様な柔か味のある風味と、他のせんべいに類のない油を使わず、焼き上げの光沢のある艶がとても綺麗です。山口県の代表銘菓として、また、伝統銘菓しての風格を誇り、昭和天皇にも献上されました。